ささやかな、しかし単調な学校生活に退屈しきっている学生たちにとってはとてつもなく魅力的なあるひとつの噂話が、学校中を這うようにして広まっていた。学校の、数学教師と美術教師に関する噂。曰く、ふたりが只ならぬ仲だという。そんな魅力的な噂を前に、生徒達が普段どおりでいられるわけがなかった。


件の数学教師が廊下を通れば、女子生徒たちがその姿を見てひそひそとなにやら言い合って、それから小さいながらも華やかな声でくすくすと笑う。授業では、ちらちらと落ち着きのない視線が、黒板ではなく教師の後ろ姿に向けられた。勇気ある生徒の幾人かは、チャイムの音と共に、教師本人に真偽を確かめに来すらした。あの噂って本当なんですか。しかし、それに対する答えは一貫していた。そんなことあるわけねぇだろ。若干きつい口調で、そう返して、教師は教室を早足で去るのだった。黒板に、いくつかの数式を残して。


噂の張本人である美術教師の授業を受けるものはそう多くはなかった。芸術教科は音楽と美術、どちらかを選択することになっていたが、今年は何故か、音楽に関しては厳しいと評判の、眼鏡をかけた上品な教師の下に多くの生徒が集まったのだ。しかしその少人数の視線に晒されることは、数学教師が多数の生徒の視線に晒されるのと同じくらいに厳しいことだった。何しろその美術教師は話しかけやすい雰囲気だったから、数少ないその生徒たちと仲が良かったのだ。こういうことへの興味が尽きない女生徒が、執拗に、先生、あの噂って本当ですか、と、聞いてくる。その度に、美術教師は苦笑しながらこう、答えなければならなかった。そんなこと、あるわけないじゃん。ほらほら、絵に集中して。


しかし、中にはそういう噂に全く疎い生徒もいた。美術部員(顧問は当然あの美術教師だ)であるその生徒は、そんな噂のことなど全く知らなかった。ただ、彼の頭の中は3日前に締め切りの過ぎた数学の課題のことのみで占められていた。彼はその課題のことを、同じクラスのサッカー部の少年に教えてもらって初めて思い出したのだ。そうして、彼は締め切り5日後に、数学の課題を出しに行くことになる。例の数学教師の下に。


同僚である国語(現代文)教師は、ことの成り行きを楽しそうに見守っていた。こういうのって面白いと思いません?そう、先輩教師である古典の教師に言った。しかしその教師は、あきれ果てた目で、こんな噂、あっという間に消えるあるよ、と言った。だから楽しいんじゃないですか。国語教師は笑う。どうやって隠し通すんでしょうかね?生徒達はさといですよ。弟分の声に、確かに、生徒達はさといある、と、古典教師は返した。視線の先、向かいに立つ建物との間の渡り廊下には、美術教師の金髪が揺れていた。


そして、その噂を双子の弟から聞いた、数学教師が担任を務めるクラスのひとりの少年は、その噂の真偽をどうしても知りたいと思っていた。


――ひとつの噂に関する、いくつかのお話。