それを思いついたのは、全くの偶然だった。


ある秋の朝、枕を抱き込み、まるで猫のように背を丸めて眠るイギリスの、はだかの背中をぼんやりと眺めていたとき、唐突にそれは閃いた。至って馬鹿らしく、子どものように稚拙で、けれど悪質には違いない悪戯。なのに一度思いついてしまうと、フランスはどうしてもそれを実行に移したくてたまらなくなってしまった。 何しろそれは、とてつもなく魅力的な悪戯に思えたのだ。


フランスはしばらくベッドの上で、未だ眠るイギリスの背中を前にあれこれと考えていたが、やがて起き上がって、ソファに無造作に置かれたジャケットを手に取った。その悪戯に唯一必要な道具を、内ポケットに探す。指先に見つけて、掴み出した。つややかに黒く、蓋に金と白でブランド名がマークしてある小さな四角柱の容器。口紅だった。ふたをとる。くるくると容器を回して、中身を確かめた。少しだけ身を削らせたルージュは、遅寝の瞳を突き刺すように赤い。マリーだかマルグリットだかが置いていったものだ。


そこでフランスは再び、ベッドに眠る彼を見た。まだ眠っている。呼吸の度に、早朝の空気に冷えてしまっているだろう肌が、シーツの上でゆっくりと上下する。その背中と、手の中のルージュとを見比べた。うん、悪くない。フランスは頷く。不健康に白い隣人の肌に、この真っ赤なルージュはよく映えるだろう。そして彼はまた、ベッドに向かった。


途中でばれたら、絶対無事に家に帰れないだろうな。思いながら、ゆっくりとベッドに乗り上がる。ねむるイギリスの背中を見た。骨張っているわ、古傷はあるわ(そのうちのいくつかはフランスがつけたものだ)で、はっきり言って、もっとうつくしい背中は世界に何千何万とあるだろう。けれどこの悪戯は、世界中の背中の中で、目の前にあるこの憎たらしい背中だけにふさわしい悪戯なのだ。


フランスはこれからキャンバスとなる隣人の背中を見詰めながら、一旦閉めておいていたルージュのふたを、片手ではずした。かぽん、という隠微な音とともにシーツに落ちたふたをそのままに、真っ赤なルージュを繰り出す。全体のバランスを考えながら、その鋭い切っ先を、眠る彼の背中の上の方、左肩の少し下に押しあてる。ちらと彼を見た。眠りは深いらしく、身じろぎもしない。――意を決して、それを肌に滑らせた。


柔らかなルージュは、そう力をいれずとも簡単に、まるで刃物で肌をなぞったかのような真っ赤な線を、イギリスの肌に残していった。フランスは悪戯のスリルと、赤と白のコントラストに、胸を興奮させた。いつ、この凶暴にして厄介な猫が起き出すかわからない。そんな状況の中、骨ばった幼い背中に、完成されてゆく文字。いわれようのない快感があった。


仕上げるまでに、そう時間はかからなかった。最後のアルファベからそっと、ルージュを離す。それから、おそるおそる、イギリスを見た。瞳を閉じたまま、動かない。まだ、眠っているのだ。・・・作戦成功だ!


フランスは思わずにやりと笑った。それが、目の前の背中に踊る赤の鮮やかさに対してなのか、成功した悪戯に対してなのかはわからなかった。赤い文字は頼りない背中の表面にあって酷く卑猥だ。そしてその文言ときたら、もうこの上なく愉快なものなのだった。フランスは作品のうつくしさに、心中で己に喝采した。これは傑作だ!


そして彼は、イギリスの背中の真っ赤なフランス語をそのままに、その部屋を後にした。


――部屋に残ったのは、ぐっすりと眠るイギリスと、今日一日すら持たない、真っ赤な所有印だけ。














『この猫は私の所有物です』

(けれどそれはきっと、今日一日だって持たずに消えてしまう所有印 )


















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かなり前に日記で書いた、英の背中に「これは私の所有物です」って口紅で書いてあったらえろくて萌えね?というネタを掘り出しました。でも書いてみたらびっくりするくらい全然萌えなかった!イギリスはこの悪戯に、極太マッキーで応戦すると思います。ペンキでもいいけど(でもペンキってからだに悪そう)。文言は「これは俺の奴隷」とかで。酷すぎる。