国際会議の途中にくちびるの切れてしまったイギリスの、しかしそのままに放置されたくちびるを見て、それは痛そうだな、と言ったフランスがイギリスを部屋へと連れ込んだ。出張用の鞄から彼が取り出したのは、スティック状ではなく、容器に入った、指でつけるタイプのリップクリーム。 「ちょっと、じっとしてろよ?」 言って、容器の蓋をあける。蜂蜜のような色をしたクリームがあらわれ、フランスはそれを中指に取った。そのゆびさきは迷うことなく、イギリスのくちびるに近づいてくる。柑橘系の爽やかに甘い匂いが、イギリスにも届いた。 「噛み付くんじゃねぇぞ」 冗談っぽい口調。そんなバカなことするわけないだろ、ってかほっとけよ。言おうとしたくちびるに、フランスの指が触れる。イギリスは仕方なく、その台詞を飲み込んだ。 やさしいゆびさきが、イギリスの上くちびるをなぞる。しっとりとやわらかな蜜蝋が、イギリスのくちびるに乗せられていった。右、左、と、つけていき、上くちびるからゆびが離れて、続いて、下くちびるも。優しいゆびさきの感触をたどるのが気恥ずかしくなって、ふとフランスのブルーの眸を見ると、驚くほど真剣にイギリスのくちびるを見つめている。こんなことにこんなに真剣になるなんて変な奴。思って、しかし、まっすぐ見詰める表情の普段見慣れないような真面目さに、更に恥ずかしくなってしまう。なんなんだ急に。しかも、みなれねぇ顔してんじゃねぇよ。いつものようににやけてくれていれば良かったものを、真摯に見詰める視線に彼が本当は端整な顔立ちをしていることを思い出してしまって、余計に調子が狂う。イギリスは、思わず俯いてしまった。 「下向くなよ」 つけられねーだろ。フランスの、喉の奥で低く笑った声に、イギリスは慌てて顔をあげる。そうした瞬間に、自分がまるでキスをせがむような格好をしていることに気づいた。少しだけ上向きに、まるで、くちびるを彼に差し出すように。その自覚に、更に羞恥心が煽られて、イギリスは、はやくしろよ、と叫ぼうとした。しかし、フランスのゆびが下くちびるを撫で上げているものだから、またも、口に出す事が出来なかった。 「ほんとこれ酷い。もうちょっと塗っといてやるよ」 あー俺超優しい。そんなバカなことを言いながら、頼んでもいないのに、もう一度、クリームを指の腹につける。それをイギリスのくちびるへ。注意深くくちびるをなぞるゆびさきは、じれったいほどゆるやかで。切れたところは特に、何度も何度もなぞられる。傷つけないように繊細に動く指先は、イギリスに、夜、からだを這うそれを思い出させるのに十分なほど、官能的だった。 「はい、できた」 ようやく、フランスのゆびがイギリスのくちびるから離れる。その瞬間、ふるん、と、くちびるが揺れたのがわかった。見れば、ゆびさきに余ったクリームを、ついでとばかりに、フランスは己のくちびるにつけている。漂う濃密な柑橘類の香り。彼は目を伏せ、くちびるを微か開けたまま、ゆびをくちびるにめぐらせる。くちびるの開きかた、伏せた睫の長さ、その姿に無意識の官能を感じてしまい、イギリスの視線は彼にくぎづけになった。 視線に気づいたフランスが、何お前赤くなってんの、と心底不思議そうに訪ねてくる。 「、赤くなってねぇよ!」 言われてはっと気づき、必死に叫んだがしかし、フランスは気づいてしまったらしい。不思議そうだった表情が合点したようなそれにかわり、そしてみるみるうちに、愉快そうなものに変わった。 「ははぁ、つまりイギリスはあれだな、――ぞくぞくしちゃったんだな?」 「っ何いってんだよ!」 「だって、お前」 もはや隠しようもないほど頬が赤くなってしまったイギリスの眸をのぞき込んで、フランスがくつくつと笑う。細められた鮮やかなブルーは、瞬く間に、イギリスの視線を再び奪った。 「すごく、セクシーな眸してる」 左手に顎を捕えられて囁かれ、抗議の言葉を吐こうとするくちびるを、今度は親指でなぞられた。蜜蝋で微かに光るなめらかなくちびるが、にぃ、と笑みを刻む。どちらのくちびるから漂っているのかわからない甘酸っぱい匂いが、ふたりの間に満ちる。神経を蝕むような果実の匂い、くちびるを撫でる親指の腹の感触。イギリスの頬はますます熱くなった。それだけでもいけないのに、加えて、からだの中、骨に直接響くような低い声が続く。 「・・・えろい子」 「ちがっ――」 「違わないだろ?」 ――お前はすごくえろいんだってこと、俺は知ってる。 決して大きくはない、なのに、有無を言わせない言に続き、さらにはくちびるが、彼のくちびるで塞がれた。いつもと違う、ぬるぬるとした蜜蝋の感触に戸惑い、そうしている間に、別のぬめった感触が、挟間から滑り込んでくる。だめだ!イギリスは殆ど縋りつくように、フランスの服を掴んだ。必死なイギリスに対し、余裕綽々といった風情のフランスが、くちづけたまま、笑ったのがわかる。悔しくて仕方ない。しかし、そう思ってしまったのが、全てのはじまりであり、終わりだった。くちびるを解放されたイギリスは、フランスの余裕を崩したいという感情だけに突き動かされて、自らからだを寄せ、そのシャツのボタンを震える指ではずし――その鎖骨にキスを落としていた。 ほんの少しの感情の揺れですら、誤魔化し通すことを許してくれない目の前の男が憎くてたまらない――そう思っているのに。そう思っていたのに、目の前の男の、虜になってしまう。また、同じことを繰り返してしまう。――彼からも、自分の感情からも、逃れる事の、出来ないままに。 ******** もともとはかかとの切れたイギリスが椅子に腰掛けて、ひざまづいたフランスがかかとにクリームを塗る予定でした。まぁリップクリームもいいかなって思って変更。でももったいないからクリームネタも書こうかと思います。 しかしリップクリームが書きたかっただけなので、その後はいつものパターンです。うおおお打破したい!! |