菊は、通いつけの喫茶店のドアを、今日もまた、そっと開けた。からん、ころん、という鈴の音とともに、いらっしゃい、という聞きなれた声がする。フランシスだ。金髪で、優しげなブルーの目をした彼は、パティシエだがよく顔を出し、お客とも仲の良い気さくな男だった。話も上手で、話していて飽きるということがない。
厨房からひょこ、と顔を出したフランシスは、おお菊ちゃんか、いつもありがとな。と歯を見せて笑う。いえいえ、こちらこそ、と笑ってから、菊はいつもの席へと歩んだ。


店の左の隅の、陽の当たる椅子を引いて座る。今のところ、お客は菊ひとりだ。濃い色の木のテーブルには、いつもどおりにノリのきいたキルトのテーブルクロスが敷かれ、小さな白いメニューと、それからガラスの小瓶に生けられた可愛らしい花がその上に置かれている。冬でも陽があたり暖かいこの席が、菊のお気に入りだった。


「いつも通りでいいか、菊?」


菊がふう、と一息ついたところで、この店のもうひとりの従業員、アーサーが来て、訊ねる。


「はい」


答えれば、わかった、とアーサーは少しはにかむ様に笑った。彼はちょっと可愛らしい顔をした童顔の男で、たぶん年の頃はフランシスより下だ。いつも姿勢がよくて、きりきりと働く姿は見ていてとても清清しい。アーサーは厨房の方へと戻り、それから少し得意げに、フランシスに言った。


「ダージリンとモンブランだ」
「・・・まぁ、菊ちゃんはそうだろうな」
「朝から景気いいな、これはこのままいって俺が勝つな」
「いや、それは難しいんじゃない?今んとこ俺が勝ってるし?」
「今日追い越すんだよ!」


やり取りを聞いて、菊はこっそり笑った。この二人は今週、珈琲と紅茶、どちらがより多くたのまれるかを勝負しているのだ。今日は金曜日、今のところはフランシスが勝っているらしい。なんでも負けた方は相手の言うことをなんでも聞かなければならないとか。


「いやいや、昨日の段階で圧倒的な差だったからな、このまま珈琲がリード、お前は負けて俺の言う事を聞く。ああ土日が楽しみだな」
「・・・はっ、それは俺もだ。今からどうやったらお前を一番屈辱的な目に合わせられるか、考えてるからな」
「俺はもう決めてるぜ?『お前があのエプロンで一日働く』。どうだ?楽しみだろ?」
「・・・ぜってぇまけねぇ!!」
「やってみろやこの坊や!」


もう聞きなれてしまった、二人の喧嘩ごしながら絶妙の会話をBGMに、菊は店を見渡した。相変わらずの花柄の可愛らしい壁紙に、よく掃除が行き届いた床。店内には、すこしだけ甘い匂いが漂い、それから、口論をやめてアーサーがダージリンを淹れはじめたのだろう、すぐに紅茶の匂いがそれに重なる。この店で出すものは、殆ど全てをフランシスが用意するが、紅茶だけはアーサーが淹れる。アーサーが言うには、フランシスに淹れさせるのは紅茶に対する冒涜、らしい(ちなみにそれ以外のものをアーサーに用意させるのは食に対する冒涜だ、とフランシスは言っていた)。


紅茶のたっぷりと入ったポットとカップ、それから綺麗な形のモンブランをトレイに載せて、アーサーがす、と歩いてくる。


「遅くなったな。あのコーヒー野郎が五月蝿くて・・・いつも騒がしくて悪いな」
「いいえ、お気になさらず」


お二人のやり取りのために来ているのですから、とはさすがに言わなかった。


「その、で、そのお詫びって言うか・・・その、今日新作のケーキがあるんだが、食べるか?フランシスのおごりだ」
「本当に?じゃあ、頂きます。あ、御代は払いますよ」
「いいんだ、フランシスの奢りだしな!ちょっとまて、今持ってくるから。それで、その・・・俺もまた一緒に食って良いか?」


また、というのは以前新作のケーキをアーサーと菊で食べたことを言っているのだろう。


「アーサーさんとフランシスさんが良いのでしたら。」
「ありがとう」


アーサーは嬉しそうにはにかむ。可愛らしい人。口の中で呟きながら、菊はモンブランにフォークを入れた。





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菊がモンブランを食べ終わって、ごちそうさまです、と一息ついたところで、先ほどのトレーに新作のケーキをいくつか載せて、アーサーがやってきた。隣のテーブルにそれを置いてから、ドアのところへ行き、openと書かれた看板をひっくり返してcloseと表示させる。
続いてフランシスが、にか、と笑いながら厨房から出てきた。戻ってきたアーサーはぶすっとした顔で、菊を見て言った。


「この糞野郎も一緒に食べるとさ、・・・良いか?」
「ええ、是非ご一緒に」
「ほらな、菊ちゃんならそう言ってくれるって言っただろ?」
「うっせぇ、気を使ってるんだよ気を!」


もとは二人用の席に、三人目の椅子を隣のテーブルからぞんざいに引っ張りながら、フランシスが、そういえば、と話しかけてくる。


「もう紅茶は飽きただろ?珈琲飲む?」
「あ、じゃあお願いします」
「よしきた!これでまた差が開いたな!」


ねめつけて来たアーサーに得意げに視線をやってから、フランシスは軽やかに厨房へ向かう。アーサーは菊の向かいでまだぶす、とした顔をしていた。菊はそれを見て緩く笑んだ。


「ところで、こちらのケーキは?」
「ああ、それな。一番右のは苺を使ったムースで・・・」


訊ねると、イギリスは淀みなくケーキを説明しだす。彼の説明は、とても上手で、聞いているとどんなケーキでも食べたくなってしまうから不思議だ。それに、


(優しい目、)


ケーキを指し示して説明を続けるアーサーの顔をそっと盗み見れば、先ほどまで怒鳴りあっていたとは思えないような優しい目で、フランシスのつくったケーキを見ている。まるで子供を見守る親のような、大切で仕方ないようなものを見る目で。


「どれも美味しそうです」
「ああ、最初につくったときに試食したけど旨かったよ。あいつ珈琲とケーキだけが取り柄だからな」


辛辣に言ってのけて、けれどもつまりは、


(フランシスさんが作ったケーキをどれも一番最初に食べるのは、アーサーさん、ってことですか)


やれやれ。思って、「そうだな、俺は真ん中のが一番気に入ったな。菊も遠慮しないで食えよ」と笑ったアーサーに笑みを返しながら菊は、ごちそうさまです、と、ゆっくり、呟いたのだった。












Sweet Sweet Sweets

































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一回やってみたかったのをついにやってしまった。と言いつつ米がきて一悶着ある続きを考えてしまっています。日はまぁ皆さんのご想像の通りネタ探しも兼ねて来てます。笑。このネタ書くのにSweetの意味を調べてたらなんだかすっごい色々意味があってびびりました。