「ちょっと待ってろ」

アメリカがフランスの部屋へと書類を取りに行くと、ドアを開けたフランスはバスローブ姿だった。シャワーを浴びていたのか、金色の長い髪から、健康的に焼けた肌、左の鎖骨の窪みへ雫が落ちる。それを首にかけたタオルでぞんざいに拭って、そして、先の台詞だ。フランスは、もう一度、がしがしと頭を拭いて、それから部屋へと戻っていく。ドアがパタンとしまる、その一瞬前にアメリカは、足を挟みこんでドアの閉まるのを妨げた。

せめて中に入れてくれたっていいんじゃないか?

無情に閉まろうとしたドアを、眉を潜めながらもう一度開ける。朝っぱらから、とはいえ、一応昨日の夜には言っておいたわけだし、というかこういうときはそれなりにもてなすのが礼儀だと、だれか――誰かも何も無いが――が言っていたわけだし。アメリカは、軽い抗議の気持ちで以って、フランスの部屋へとそっと、体を滑らせた。他意はなかった。軽い気持ちだったのだ。何がしかの好奇心と、それから少しの、悪戯心と。それでも、流石に見つかってはまずいだろう、と、ドアは後ろ手に微かに開けたまま、部屋を見渡す。フランスの姿はなく、どうやら奥の寝室にいるようだった。




フランスの部屋は、当たり前にアメリカの部屋と同じつくりだった。穏やかに晴れた、朝の陽光が差して温かい。あたりには、彼の愛用する香水だろうか、しっとりとした芳香が漂っている。百合の花が二輪、白い花瓶に生けてある。


フランスがバッグを漁っているらしい。ごそごそという音がしてきた。特に面白そうなものもないなと思ってもう一度外に出ようとした、そのとき、布団の擦れるような音と、呻き声が聞こえてきた。アメリカは一瞬寝室の方向を見やった。ドアは開け放されたまま、しかし部屋の中は角度の関係で見えなかった。すぐにアメリカは、彼が誰か女性を連れ込んでいるのだろう、と納得し、軽いため息と共に視線を外した。だが結局、アメリカの視線は寝室の方向へと釘付けにされることになった。


中から、声が聞こえた。


ん・・・だれ、だ?


フランスに、訊ねた声は微かに甘く、掠れていた。掠れているのに、濡れていた。今はすでに冷めきった熱の、しかし隠しようの無い痕跡が、声に残っている。同じ声色で、数時間前に彼があえかな声を上げていたことが、容易に知れ。それでも、アメリカが間違えるわけがない――イギリスだった。


アメリカがきてる
っ!?
だいじょーぶ、外に待たしてっから
・・・・


アメリカの心臓が、早鐘を打つ。どうして彼がここに?こんな朝から?自問しながら、しかし、その答えを、アメリカはもう知っていたのだった。フランスのなんでもないような返事に続いて、小さな口付けの音が、何回かきこえる。フランスは、イギリスの瞼、くちびるの端、目のあいだにくち付けを落としてでもいるのだろうか。ほんの数メートル先、ドアすら閉まっていない。それなのに、アメリカの座っている位置から確認できるのは、ただ、純粋じみた白い壁が、光を受ける眩しさだけだった。


しばらく物音が聞こえなくなったが、その後くちゃ、と爽やかな朝に似つかわしくない音が断続的に耳に届く。深くくちづけてでもいるのだろう、イギリスが、堪えきれないような吐息を漏らしたのが聞こえた。アメリカがいつも聞いていた、運動の後の健康的な息切れとはまるで違っていた。ぐるぐると、脳の中をかき混ぜられるような心地がした。しかし、衝撃は大きかったものの、驚きは、なかった。


アメリカの知っていたイギリスが、本当の彼の、一部に過ぎなかったことを改めて思い知らされる。アメリカは、イギリスのことなど何も知らないのだ。それなのに、フランスは、俺の知らないイギリスをたくさん知っている――アメリカがあの一連の戦いの中でようやく知った、口汚く罵る姿も、戦いのときの射竦めるような目も、アメリカの知らない、たくさんのイギリスを、数え切れないくらいに。そう思った瞬間に、アメリカの中になにか強烈な感情が吹き上がった。怒りともいえるような、悲しみでもあるような、あるいは、渇望にも似た。それが、アメリカの知らないイギリスをいとも簡単に暴くフランスに対するものなのか、アメリカに対し、どこまでも純潔な自分を守ろうとするイギリスに対するものなのかすら、わからなかった。ただ、たくさんの問いがぐるぐると脳の中を駆け回る。イギリスは今、どんな顔をしているのだろう。あの緑の瞳は蕩けているのだろうか?ふたりは、どんな風に見詰めあうのだろう?フランスの指は、どんな風にイギリスを捕らえているのだろうか?


角度を変えたのか、体勢を変えたのか、何かを叩きつけたようなぼふ、という布団の音が聞こえた。続く、ん、ぅ、という呻き声。ぎ、とベッドの軋む音。


もう一度、イギリスの吐息が聞こえた。満ち足りて苦しそうな、しっとりと濡れた息。フランスが、笑った。


おまっ・・・!
んー、目、醒めただろ?
うっぜぇんだよ朝っぱらから!
あんまりでっかい声だすと聞こえるぜ、外に。
っ・・・


会話は、あまりにもいつもの彼らのようだった。喧嘩ごしで、口の悪い。それなのに、そこに滲む甘さにアメリカは殆ど吐き気に近いものを感じた。







フランスが、寝室から出てくる気配に、アメリカは慌てて、しかし音をたてないように、部屋の外へと出た。胸に手を当てる。心臓がまだ五月蝿いのを、なんとかして宥めようとした。からからの口内を潤した、唾液が苦い。


フランスが部屋から出てきた。イギリスのそれに触れた赤いくちびるを、舌でぺろりと舐めて、そして髪をかきあげた。アメリカと目があうと、目を細めて見せる。


「遅くなって悪いな?」


ちょっと凄みのある色気を伴って笑ったフランスに、アメリカも努めて笑って見せた。ここで、動揺したら負けだ。そんなことないよ、言って受け取る。渡された書類・・・もっと正確にいえば、それをもつフランスの指をアメリカは凝視した。この指が、イギリスの髪を撫でて、肌を巡って、探り当て、咲かせるのだ。再び、あの強烈な感情が、アメリカに襲い掛かった。


「んじゃ、また後でな、ル・べべ?」 フランスは気障にウィンクをして、ドアを閉める。その、しっかりとしたつくりのドアを、じっとみつめた。血液と共にあの感情がどくどくと体を巡り、全身に染みていくのを、アメリカは感じた。











ある朝の情景