「……残念だったな、愛しい弟君じゃなくて…いや、今は恋人か?」 耳に届いた酷薄な声に、ぼんやりとしていた頭が急に覚醒した。フランス?どうしてここに?イギリスはあわてて身体を起こして――その最中に痛んだ腰に出そうになった呻き声をイギリスは必死に抑えた――、フランスから離れるようにその身を動かした。そうしている最中に、彼が仕事で来たのだということを思いついた。 「フランス…」 眉をひそめ、嫌悪感を露にした彼の表情に、イギリスの胸の中で警鐘が鳴り響いた。こういう時――彼が勝手に部屋に入って着たとき、前はどうしていたっけ?うまく状況を飲み込めない頭を必死に動かして、ようやく、勝手に入ってくるんじゃねぇよ、と言う台詞を思い出した。その言葉を記憶の通りに唇に乗せたつもりだったのに、出た声は存外に低かった。 「なんで?」 イギリスの、威嚇に似た言葉に対して、フランスが唇の端をゆがめて笑う。見るからにつらそうな笑みだった。そんな顔見たくない。いつものように軽く笑ってくれればいいのに、と思っても、もはやそれが無理だということは、十分すぎるほどに分かっていた。 「前だってそうしてたのになんで急に変えなくちゃなんねーんだ?」 「昔からそう言ってただろうが」 更にきつい声が出てしまった。これじゃあ昔とは大違いだ。いや、今でもまだ昔のようなやり取りができる余地は残っていた。フランスが、からからと笑って、「そんなお堅いこと言うなよ」と、あの優しい声色で言ってくれれば。けれど、それはどう考えても不可能だった。フランスがじっと見詰めてくる。全てを見透かしたようなブルーに晒されるのが苦痛だった。フランスがふ、と笑う。その笑い方はやめてくれ。イギリスにはこの部屋の空気が、まるで自分の何十倍もの重さに思えた。 「・・・お熱い夜だったようで」 下卑た笑みと共に与えられた一言に、頬がかっと熱くなった。イギリスは、どうしたらいいのか、わからなくなった。耐え切れなくなって、「まぁ、な」とフランスに向かって笑んでしまって、フランスの眸に何か暗い影がよぎったのがわかる。俺のことなんかどうでもいいくせに何しんみりしてんだよ。思いながら、なかなか疲れる外交だ、ともう一押しすると、フランスが「腰たたねぇんじゃねぇの」と嘲るように言う。なにもかもが、イギリスにはわからなくなっていた。自分がどうしてこんなにも、罪悪感のようなものを感じているのかも、フランスがどうして、こんなにもつらそうに笑うのかも。だって仕方ないだろ、と言い訳じみた怒声をあげそうになるのを、イギリスはすんでのところで抑えた。アメリカは強いし、意外に優しいし、――実際ずっと思い続けていたのだから。しかもそうする以外に、立ち直る術などもう、なかったのだから。もう幾度も幾度も繰り返し念じ続けてきたことを、もう一度、イギリスは自身に言い聞かせた。こんなにも彼に対して罪悪感を抱いていることが、アメリカに申し訳なかった。だからこそ、フランスにはなんでもないことのように振舞って欲しかったのに――いや、彼は実際このことをなんとも思っていないのだ。それでも、イギリスが期待してしまっているから、ひとつひとつの彼の振る舞いを、まるで彼が嫉妬してくれているように感じてしまっているだけなのだ――そう考えると、自身の思い上がりが恥ずかしくて、仕方ない。それなのに、どうしてもそんな風に感じてしまう自分に、嫌悪感を抑えることができなかった。 「・・・さっさと着替えろよ。今何時だと思ってんだ?」 「――直ぐ行くから向こうの部屋で待っててくれ」 イギリスは視線を合わせずに、早口でそう言った。声が、少し震えていたのをフランスがいぶかしんでイギリスを凝視したのがわかる。その視線にさらされたくなくて、イギリスははやく行けよ!と叫んだ。しかしその声もまた、酷く擦れてしまう。それは、昨夜声を上げすぎたからでないと、きっとばれてしまった。気づいたら枕がひとつ足りなくて、そうしてようやく、自分がフランスにそれを投げつけたのだと知った。 「…この枕、アメリカの匂いがするな」 彼がそう言って嘲笑した声が、信じられないほど鋭くイギリスの胸を突いた。瞬間的に、ぶわりと涙が浮かんで、視界がぼやけた。どうして急に涙が出てきたのか、イギリス自身もわからなかった。けれど、フランスにアメリカとのことに言及して欲しくないと思っている自分がいることだけには、気づくことが出来た。そしてそう思ってしまう理由を、考えてはならないのだということも。 「うるせぇ早く行けよ!」 ついに声に涙が混じってしまった。彼は一瞬酷く傷ついたような顔をして――けれど、それだってきっとイギリスの見ている幻想なのだ――そして早足で寝室を出て行く。フランスが投げつけ返した枕は、ちょうど良くイギリスの腕に治まった。その枕からは、懐かしい、甘い華やかな匂い。その匂いに、何故か涙が更に出てくるのをイギリスは感じた。どうして泣いているのか自分でもわからなかった。ただ、涙が枕を濡らしていく。どうして?どうして?わからないままに涙が溢れ――イギリスは感情をもてまして、ただただ、涙を零すしか、なかった。 |